令和の革命教員

学校教育はおかしいぞ

Strike while the iron is hot

イギリスのことわざで“Strike while the iron is hot. ”というものがあります。訳は、皆さんがよく知っているように「鉄は熱いうちに打て」となります。鉄は熱して柔らかいうちに鍛えよ。精神が柔軟で、吸収する力のあるうちに心身を鍛えるべきである、ということのたとえです。

 

 先日、似たような記事を目にしました。脳科学の立場から若いうちに脳をきたえようという内容をしておられました。脳は大きく4つに分けられ、場所ごとにちがう仕事をしています。触ったり、触れたりしたことを知らせる前頭葉、音を聞く側頭葉、物を見る後頭葉、そしてみなさんにとって、ものすごく大事な場所が前頭葉前頭前野。おでこのすぐ後ろにあります。

 

 いろいろな動物と比べると、人間だけ前頭前野が大きく、ものを考える、我慢する、仲良くする、覚える、学ぶといった力を出します。前頭前野が元気ならスポーツ選手や、ピアニスト、エンジニア、医者、腕のいい職人などどんな夢もかなうそうです。

 

 前頭葉、側頭葉、後頭葉は5・6歳までに大人と同じくらいに成長しますが、前頭前野は3歳まで発達した後、一度おとなしくなり、小学校の高学年の頃からまた急に成長するそうです。学生はまだ成長の過程にあり、これから学校や家庭でどういう生活を送るかで将来何ができるか大きく変わります。

 

どうすれば前頭前野を鍛えられるか。計算や漢字書き取り、人の話を聞くこと、本を読むこと、音読もいいらしいです。本を読むことは心の栄養にもなります。つまり、学校の勉強をきっちりすること。ほかに家族と顔を見て話すこと。部活動などで複数の友人と関わることもいいようです。

 

一方、睡眠時間が短かったり、朝食を食べなかったりすると、学力や体力が落ちます。主食だけでなくおかずも複数食べること。テレビは長時間見ると前頭前野が弱くなる。スマートフォンは便利ですが、使用時間が長いと勉強で覚えたことが消えるらしいです。これはテレビゲームにも当てはまるでしょう。

 

ということで前頭前野を鍛えるべく、生活を見直すことが大切だということですね。学校の勉強は、直接、将来の生活で役立つことは少ないかもしれませんが、考えることを通して、問題解決能力を養うことはできるでしょう。そして、将来、新しい問題に直面した時に、解決の糸口を見つける力になると思います。

 

こういった成長に関する話を聞くと、子どもってすごいなぁと思うと同時に自分の限界を感じます。私はこれからどんどん老化していくばかりです。私のような老人でも前頭前野は鍛えられるのでしょうか?また現状維持はできるのでしょうか?教えてください。とほほ・・・・・

感謝感激雨霰


成功する人は信頼できるパートナーだけではなく、仲間に対しても感謝を忘れません。

 

「成功する人は感謝の多い人」

 

様々な自己啓発本にも書かれている感謝というキーワードですが、多くの人は何も実践できません

 

成功する人は、感謝の大切さを誰よりもわかっています。

感謝することによって、自分を取り巻く全てのものがポジティブに変わり、それが結果的に成功を導くのだということをわかっているのです。自分の人生に関わるもの全てをポジティブなものに変えていくことで、思考も冴え、様々なアイデアも湧いてくるようになります。

また、人に対しても同じです。自分の人生で出会うあらゆる人に感謝の気持ちを持つことで、人とのより良い付き合いが続くということを、成功する人は知っています。良い人脈と言うのは人生の宝です。

 

感謝は、あらゆる物事を幸せな方向に導いてくれます。成功者は、それを何よりも大切にしています。

 

ではなぜ多くの人は感謝できずに終わってしまうのでしょうか?

それには原因があります。すべて「あたりまえ」だと思っているからです。

①命についての「あたりまえ」

感謝できない人はまるで自分ひとりで生まれたように自分の命について感謝しません。

自分の命が当たり前なのであれば両親や自分の先祖に対して敬意を持てなくなります。

そして親孝行やお墓参りさえ、面倒になるのかもしれません。

②家族についての「あたりまえ」

 感謝の反対語である「あたりまえ」。これはあなたの態度から次の子孫にも伝わります。

息子が偉そうにするのはあなたが息子の存在を当たり前と思っているからではありませんか?出会い。人間関係に当たり前は無いのです。それが血縁であっても当たり前とは思わず、感謝を伝えて生きていくべきです。

③パートナーに対する「あたりまえ」

 働くのがあたりまえ、料理するのがあたりまえ、洗濯するのがあたりまえ、こんな事を考えながら結婚生活を続けるのは地獄でしょう。私たちの目の前に当たり前の物などありません。またあなたをパートナーに選んでいない未来もあったのに、あなたを選んだ。これは当たり前ではなく、「選んでくれてありがとう」という感謝の言葉が相応しいはずです。

 

 最近の学校では、こういった感謝の気持ちがまったくありません。部活動をするのが当たり前、生徒のためなら当たり前、サービス残業あたり前。

 保護者も、生徒も、各自治体も・・・。教員だから、公務員だからという都合で、それが当たり前でしょと思ってはいけない部分が多々あると思います。こういった社会の偏見を是正していくことが大切なことだと思いたいです。

 

 

 

 

失敗を受け入れる社会を作りましょう

 

余計な見栄をはらず、 周りのみんなの素晴らしいところを素直に学ぶ。言葉にすると簡単なようですが、これが難しい。

 

「あなた、こういう所を改善した方がいいよ」 ということに「ありがとうございます」と言える力。

 

でも、そのためには絶対的な安全基地がその子の中にあって、 弱い自分を見せても大丈夫、強がらなくても大丈夫なんだ、と自分自身を認めることで得られる力が大切であると思うのです。

 

両親がケンカばかりしていたり、 いつも疑われて育つと、子どもは不安で仕方がない。

不安で、不安で、本当は弱い心なのに、強がって。「あなたは大丈夫」と言って欲しいのに、いつも心配されて。

 

そういう環境ではなかなか、安全基地というのは育たないような気がするのです。

 

子どもに「 心の強さ」を求める前に信じてくれる親や大人が必要です。子どもたちの安心感が「心の強さ」につながっていきます。親としては、やっぱり子どもには大きな失敗はしないで欲しいし、躓いて泣いているところを目にするのも心地よくはない。

成功してくれていると嬉しいし、100点だと褒めてあげたくもなる。

 

でも、子どもたちからすれば、失敗でも成功でも、負けでも勝ちでも、「学び」という点では同じくらい大切なことだったりします。

 

それを「学び」に変えるのは大人の役割です。「失敗」を「素晴らしい経験」と捉えて、悔しい気持ちを学ぶ機会や、うまくいかないこともあるということを知る機会や、今までの選択の積み重ねが失敗を招いていると知る機会にしたとすれば、おおいに子どもは学び、心の成長に繋がります。

 

「成功」を「素晴らしい経験」と捉えて、自信をつける機会や、うまくいくにはこうしたらよいということを知る機会、今までの努力の積み重ねが成功という結果をもたらしたということを知る機会にしたとすれば、おおいに子どもは学び、心の成長に繋がります。

 

何をするにしても、どんな結果になろうとも、そのできごとによりよい意味づけを行い、子どもに解釈の仕方を伝え、子どもの心の辞書にどんな意味を刻んであげるのかが大切でしょう。

 

ところが、学校生活をしている中でも失敗をよしとしない教育があります。できるだけ、失敗をさせないようにいろいろ計画を立てます。私個人としては「失敗してもいいだろう」と思ったりするのですが、生徒のことを考えて、何としてでも成功させてあげるのだと、教員が本気になることがあります。

 

 これって、生徒のためには全くなっていなくて、勘違いを起こしているだけです。もちろん、サポートしてあげることは正解ですが、手厚いサポートはかえって逆効果だと思います。教員がなんでもやってくれる環境に甘えて生活してしまうと生徒は更にだらけます。自分たちで何とかしなければと本気で考えると、おのずと良い変化が起こるはずです。

 

当たり前のことなどありえない

この世には「あたりまえ」のものなどひとつもありません。全てに感謝できる人間はポジティブな人生を作り出し、成功する人への生まれ変わらせてくれるでしょう。

 

学生時代の友だちに会うと決まって言われることがあります。それは「お前は教師としては道徳的にダメやろ」という一言です。確かに、学生時代の自分の話をすると、生徒にとやかく言える立場でないことがよくわかります。

でも、至らない人間である私ではあるけれども、至らない人間の私も子供たちに教育をする責任があるという想いがあります。人間は色々な欠点があるから教育が必要だと思うし、。だから、万人が教育を説く能力もあるし資格もある!教育を説く資格のない人なんていないと思います。

 

平成を振り返ってみると、結構、平和じゃなかったときとか、暗いニュースが多かったなと思って、その中で、希望を持て、明るくなれるなぁと思ったのがスポーツの話題でした。確かに海外進出なさる方たちがすごく多かった印象です。

 

ちょっと一昔前だと、日本人選手がマンチェスター・ユナイテッドのレギュラーを取るとか、インテルで活躍するって、そういうことを考えた人って、たぶんなかなか夢のまた夢だったと思うんですけど、

今、実際にそこで活躍した選手もいて、今度、今の子どもたちは海外で活躍するの当たり前っていうのを見ていて、さらにここから日本のスポーツ盛り上がっていくんじゃないのかなっていうのがあって、明るい希望を持てる話題がちょっと多くなっているのかなと思います。

実は日本のサッカーの日本代表って、1970年のメキシコ大会から予選に出てて、ずっと何度も何度も予選敗退してるんですね。94年のアメリカ大会でドーハの悲劇が起きて、もう希望があったのにまたどん底に落ちて。二十何年間やったけどだめで、もうこれはやっぱり無理なんじゃないかと思ってたんだけれども、98年のフランス大会で、決勝、決勝というか、本大会に出場するわけですね。

だから今の平成生まれの子どもたちというのは、実はワールドカップ行くのは当たり前っていうふうに思ってるんですよね。ここがすごく重要だと思っていて、絶対無理ってみんなが言っていたことを、一度でも達成すると、いや、そんなん普通だよねってなってしまいます。

だから他人が言う絶対無理なんて、無視したほうがいいんですよね。

 

心のデフレスパイラル

 

私は病み始めているのかもしれません。時間が解決してくれるでしょう・・・

 

 

 

世の中の人は、なんとも言わば言え、わが為すことは、我のみぞ知る

 

 この言葉は有名な坂本龍馬が若くして残した詩です。

 

「世間の人は好きなように自分の事を言えばよい。自分がやろうとしていることは自分だけが知っている」

 

これは龍馬が16歳の時に詠んだ詩とされています。

さらにこんな言葉があります。

 

「若い者はしくじる。右も左も分からないのだから、失敗は当たり前だ。老人の失敗は国を滅ぼす。しかし、青年の失敗は国を滅ぼさない」

 

龍馬も相当な失敗をし、世間から罵声を浴びたのでしょう。詩にはそういう悔しさもにじみ出ています。

 

 

他人が自分の事を悪く言うのはとても苦しい物です。

しかし、多くの失敗をしても悪評を恐れることはありません。なぜなら成功する人は生きていく過程で必ず目立つからです。優れたやつは目障りだし、態度のでかいやつには風当たりが強い。他人と違うなら馬鹿にしたくなる。これが人間です。

 

そして悪口ほど面白おかしく、そして拡散される物はありません。

それはまるで「一匹のいぬが吠えれば、ほかの万匹の犬が、わけも分からずにいっせいに吠えたてる」ように。しかしそんな苦しい状況におかれても「成功する人」であれば気にする必要はありません。なぜなら「これは成功する為の課程」なのだからどれだけ苦しい状況であっても大切なのは「わが為すことは、我のみぞ知る」ことです。

あなたが目指す道は他人には解らない。あなたが成功する人だから目障りなのです。

あなたの態度が堂々としているから風当たりが強いのです。

そしてあなたが目標に到達したとき、風向きは大きく変わる。 

「犬の鳴き声は一気にとまり、世間は手のひらを返す。」

だから

「世間の評価なんか気にするな!顔をあげて前を進むんだ!」

少し頑固でもいいさ。

自分の目指すところ。志は譲らないという気持ちで進めばいい。

「成功する奴は、そんな心で生きている」

多分、また病み始めているんだろうな

 教育を改革するのだ

 

 

と力強く何度も言いながら、実際のところ、何度も悩み苦しんでいるのが私です。精神病を患った段階であれこれ考えすぎている性格であることは自分でもわかっているのですが、なかなか治りません。

 たまに、こういったブログの中でも、しんどくてやめようと思うことが多々あります。こういう時、暗闇に一人ぼっちという表現がぴったりなのかなと思ったりします。

 

 

真っ暗闇の中を歩けば足下に障害物があるのかもしれないし、頭に突起物があって怪我をするかもしれません。わたしたちは暗闇の中では動けません。しかし目の前の一筋の明かりが見えたとき、人はそのひかりに向かって歩くことができます。

 

さて、今の若者は人生を進めるひかりを見つけることができているのでしょうか?人生は様々な障害があり、世界を真っ暗闇にすることも多くあるでしょう。そんな時はひかりを探すことが必要なんでしょうね。それぞれの向かうべきひかりの存在があることを知ることが大切です。暗闇のトンネルの中で迷っていても、ひかりを探そうと注意深く探せばきっと見つかります。

 

さて、暗闇の中で見つけるひかりとは希望です。

 

わたしはこんな人間になりたい。

わたしはこのように生きたい。

わたしは「成功する人」になりたい。

 

どんな困難な時でも希望のひかりを見つけることができれば周りに少しの明かりが生まれるでしょう。そして周りを見渡してください。

 

家族が支えてくれている。

仲間が共に歩いている。

誰かが進む方向を信じて応援している。

 

 それぞれが見つけたひかりは、周りの人のひかりとなり大きなひかりは太陽のように暖かく照らします。だからひかりを見つけてほしいです。どんなに苦しいときでも。

 

 改革や変化をもたらすためには周囲の助けが必ず必要です。それこそ、地動説を唱えたときのように、既存概念を覆すには犠牲や時間がかかります。今はまだ、遠い道のりかもしれませんが、ともに歩む仲間がいればいつかきっと叶います。

 

と今日も自分に言い聞かせて、力強く生きていきます。

 

私を暗闇から救い出してくれる人が早く現れてほしいものです。

教師の価値はどうやって決まるのだろう?

 担当している学級の誰からも好かれる教師になることなんてできません。毎年、私のことを嫌っている人がいます。それでいいと思っています。むしろ、嫌われることはいいことだとも思っています。精神的にはしんどいですが・・・。

 

どんな商品にも『素晴らしい価値』はあると思います。

しかし『どんなに素晴らしい価値があっても』売れる人、売れない人が出てきます。

 読者には学生さんもいるので勉強のことも考えてみましょう。

 どんなに素晴らしい学習方法や先生と出会っても成績で『結果を出す人』『出せない人』がいると思います。

では何が違うのか?

 

私は『心が違う』のだと思います。

 

人間の能力など大きな差はありません。しかし心の有りようには多くの差が生まれます。

この商品で『この人を幸せにしたいと思えば』工夫も生まれますし、真心も入ります。

勉強においても同様です。

 

目標が高校や大学に入るだけでは『本当のチカラ』は引き出せません。

 

高校や大学に入った後、自分の人生を考え、何のために学ぶのかという目的を感じれる心を養えばきっと内側からチカラが沸いてくるでしょう。

 

 だから、どういった教師と出会うのかによって、人生は大きく左右されます。おそらく、私と相性が悪い生徒は国語を好きになることはできないでしょう。それは、能力とか才能とかではなく、その人の「心」の現れです。

 私は運動が苦手だったのです、体育教師はどんないいい人であろうと、好きにはなれません。生理的に合わない人だと思っています。それが私の「心」です。様々な教員との出会いで、「心」のあり様を見つけていくことが一番大切な学びなのかもしれませんね。