令和の革命教員

学校教育はおかしいぞ

学校の成績

 学校の教員をしていて悩むことがあります。それは成績を上げたいという相談に対する答えです。
 学校関係者からすれば、親身になって答えてあげるべき内容ですが、個人の感覚からすれば、学校の成績はそれほど大切ではないと思います。
 
 学校の授業科目の中であなたの人生に必要なことは何ですかと問いたいです。
 
 私は国語の教員をしていますが、理科や社会の知識については生徒の方が賢いものです。はっきり言って中学校の教育内容でわからないものがあります。
 
 おそらく、大人(親)の中にも子どもたちのテストを受ければ、満点をとれる大人はそんなにいないと思います。むしろ子供より点数が低いこともあるでしょう。
 私たち大人は学校での授業内容が将来あまり役に立たないことを知っています。跳び箱を8段を飛べたからと言ってどんなプラスがあるのでしょう。古文の内容がわかってどんなプラスがあるのでしょう。生物の分類がわかってどんなプラスがあるのでしょう。
 
 ここでのプラスを明確に答えることができる人は、それぞれの学問においてしっかり勉強しそれぞれの知識を活用している人たちだと思います。私の場合、古文の内容が分かることのプラスを答えることができます。

  

 でも、私たち大人はすべての勉強ができなくても働いています。お金をもらっています。その事実を伝えてあげることが大切です。
 
 そして、学校の勉強より大切な勉強があるということを伝えるべきです。

 福沢諭吉の「学問のすゝめ」においても同様のことが書いてあります。実学を学ぶべきなのです。

 本当に必要な勉強はどんなことであるのか。それを児童生徒に気づかせてあげることが一番の教育活動だと思います。

 今の学校教育は、大人が評価する基準作りのための内容になっています。テストで点数が取れる人が優秀であるという構図を作り出しました。
 
 でも、大切なことは1つの専門分野を極めることだと思います。学力が足りないから、その道が閉ざされることはあってはならないはずなのに、その分野とはあまり関係のない内容によってふるいにかけられます。

 知識の詰め込み教育、受け身の授業スタイルを変更し、学校の授業内容を変更することで、テストの点数によって人生が左右されるのではなく、どの学問を学びたいかによって人生が左右される学校教育でありたいと思います。

下記に福沢諭吉の「学問のすゝめ」の一部を掲載しています。ぜひ、ご一読ください。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら
貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物をり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲とどろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教じつごきょう』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々しもじもの者より見れば及ぶべからざるようなれども、そのもとを尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。ことわざにいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人げにんとなるなり。
 学問とは、ただむずかしき字を知り、し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心をよろこばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめとうとむべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟ひっきょうその学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。