令和の革命教員

学校教育はおかしいぞ

ボッチの私を救うのは君だ 俺はどうしたらいい?

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私は、友達がほとんどいないので、いやもしかしたらいないので、休日は一人で過ごすことが多いです。

で先日、一人でママチャリに乗って楽しんでいたのですが、山道を登って行った先にこんな素敵な写真を撮ることができました。

で、ツイッターにアップしてみたのですが、難しいものですね。

 

全然バズリません。

 

世の中にあふれているトップブロガーや影響力の強い方々はすごいですね。

 

 

 

で、今日の本題なんですが、「独りぼっち」です。

 

 

「一人でいたい」という考えは、本人の心からの意思であればそれでいいと思います。ただ、その思いの背景には「人に受け入れてもらえない」という疎外感の体験があると思います。周囲の環境が「一人でいたい」と思わせてしまっているのです。

 

 で、最近こういったブログをやるようになってから自分の心の変化に気づきました。ブログを読んでくれている方への思いです。そして、「はてなスター」や「ブックマーク」の数を気にするようになった自分です。友人数や「いいね」の数、応答の早さなどを可視化することは、その人の人気や受容度が一目で分かるため、不安は一層膨らみます。だから、その数が少なくなると、なんだか寂しく感じてしまいます。友達かと言われると微妙ですが、勝手ながら身近な存在だと思ってしまうものなんですね。

 

 

相手から「選んでもらえないかも」「切られないか」という孤立への恐れが常につきまといます。関係を維持するために無理したり、本音を隠したり・・・。たくさんの人と「つながっている」のに孤独を感じるのはこのためです。結局、集団の中で生活していく以上、どこかで我慢を強いられている部分があるのでしょうね。常に自分らしく自由にふるまうことができる人がいれば、すごいことだと思います。学校だけでなく、社会で生きていく中でこういった不安は切り離すことができないのでしょうね。

 

 

 だから、漠然と不安を抱くのは自然なことです。けれども、頼りたいのに相手がいないという孤立は解消すべきでしょう。孤立した人が仲間づくりの場に出ていくのは難しい。性格なんて簡単に変えることなんてできません。勇気ある一歩を踏み出すことがどれほど苦痛であるのか・・・・。難しいことではありますが、日常生活の動線上に支援につながる場を設けることが必要だと思います。

 

 現代社会には、残念ながら「一般常識」や「基準」なるものから外れている人を排除するような雰囲気があります。その社会をつくっているのは私たち一人一人。もう少し寛容な社会でありたいです。

 

 

 仏教には「独生独死独去独来」という教えがあります。独りで生まれ、独りで死に、来るときも去るときも独り-。人生は底知れないほど寂しいものだと説いています。でも寂しいと感じることがあるからこそ、誰かと一緒に過ごす楽しさ、心が通い合った喜びも感じられるのでしょうね。

 

ということで、早くそんな人と出会いたいと思った悲しい独身男性、革命教員でした。