令和の革命教員

学校教育はおかしいぞ

自分なりの価値観を築き、自己を創る

 

人間にとって、幸せとは何か。

何が正しく、何が間違っているのか。

何が美しく、何がダメなのか。

 

そういった問題に絶対に正しい答えはありません。

学校や会社など社会の中で生活していく中で、どうしても意見の食い違いや価値観の違いは生まれてきます。私は学校でのテストや成績、部活動などなくすべきだという考え方をしています。個人的には部活動に本気になっている人とは相性が最悪だと思います。

 

 

さて、集団で生活してく中で他人の考えに振り回される人がいます。でも、自分の頭で考え、自分なりの価値観を確立していくことが大切です。世の中には、私をバカにする人もいるでしょう。しかし、その人は自分の独善的な価値観でものを言っているにすぎないものです。腹を立てたり、落ち込んだりしてしまえば、それは相手の価値観を認めることになってしまいます。

 

そんな人のことは、気にしなければいいだけのことです。どんなに立派な人格者だって、妬みから悪口を言われることもあるでしょう。すべての人に認められるなどということは、なかなか難しいことだし、必要のないことです。自分の価値観を他人に押し付けず、他人の価値観に惑わされない。自分の「信念」を貫きながらも、間違いに気づけば改める謙虚さをもつ。それが自信をもつ方法です。

 

人の道に外れることなく、まっとうに生きてさえいれば、何も恥ずかしいことなどありません。

 

ただ、正義感と責任感。

言うまでもなく、これらは非常に重要なことです。正義感のない人は、自分が得をするためなら「悪いことをしても、見つからなければよい」と考え、利己的になりがちです。また、責任感のない人は、自分を守ること、面倒から逃げることばかり考え、自分の怠惰が他人に迷惑をかけているという意識がありません。

 

正義感と責任感は、一人前の大人として認められるための最低条件だと思います。しかし自分に自信のない人が、やみくもに正義感や責任感で自分を縛りつけるということは、よくあります。

 

自己をもたない人にとって、正義感や責任感とは、「他人から批判されないための防具」であり、また、「他人を批判するための武器」なのです。自分を失って周りと同じことをやろうとするだけでは意味がありません。自分にしかできないことをやってのけてこそ、真の実力が発揮されるのです。毎日の日常は幸せですが、日常を抜けだしてこそ面白いこともあります。叱られることを恐れて何もしないより、何かをやってやるぞという気持ちを大切にしたいものです。

 

ところが、最近の社会では失敗することを馬鹿にしたり、失敗した人を認めない社会があります。また、過去の失敗を掘り返して攻撃しようとする人もいます。

確かに、一時の感情の高まりで相手に対して嫌悪感を抱くことがあります。そしてその思いが高まって、個人に対して、声に出して攻撃したり、文字にしたり、SNSで発信したりする文化が出来上がっています。そしてそれに群がる集団がいます。

 

個人よりももっと大きな社会の枠組み等に目を向けて批判をしてほしいにも関わらず、問題の根本を見ることができなくなっています。本当に大切な学びとはこういったことに気づいて、どんな解決策があるかどうか考えることだと思います。

失礼な話ですが、SNSの利用やデジタル化にはご年配の方が理解することは厳しいと思います。私にも難しいと思います。むしろ、いまの学生の方が理解が早く、問題に気づくこともできるかもしれません。だからこそ、学校現場の中で様々な問題を議論して、世の中に発信することができるようになれば日本も大きく変わっていくと思います。年功序列が邪魔をして、なかなか若者の意見を聞いてくれませんが、新しい時代を創っていくのは若者です。時代に敏感であるのも若者だと思います。ぜひとも、若い人の意見を上手に取り入れることができるようにしてほしいです。