令和の革命教員

学校教育はおかしいぞ

学びの目的とはいったい何?

今もたまに、思ってしまうのですが、なんで私ばかり大変な仕事がやってくるのだろう?なんで、あの人は毎日何もしないで帰ってしまうんだろう?どうして・・・?と周りに怒りや疑問を持ってしまいます。期待されているといえば、聞こえはいいですが、給料が高くなるわけでもないし、早く帰れるなら帰りたいし、仕事が多くなるのは大変です。でも、誰かがやらないと生徒のためにならないし、やるだけやって、もっと効率のよいことを考えたり、その仕事自体をなくしたり、意見を言えるようになるのは経験したことがある人だからだと思います。そう信じて、10月も頑張ります。

 

 

自分は、与えられた仕事に対して責任を

  もってこなしているのに、まったく報われない。

 

そんなことを言う人がたまにいます。

 

実はそんな人は何をするにも、自分から進んでしているのではなく、「やらされている」という意識しかないのです。責任感がかえって自分を苦しめるなら、やはりその動機が間違っています。自らの意志で責任感を「もつ」のではなく、「もたされている」という意識しかない人は、結局、「自分だけが我慢している」という不満を抱いてしまいます。はっきりとした自我に目覚め、自分に誇りをもっている人は、むしろ正義感や責任感というものは、ことさらに意識することなく生きています。

 

今、相手が自分をどう思ってくれているかなんて誰にも分りません。だからこそ、これからよい関係を築く努力をすればよいのです。

 

「まず、できることからスタートする」という気持ちが大切です。完璧主義の人は、「つねにポジティブでなければならない」「怒りや嫉妬など、みにくい感情を抱くことは許されない」などと、堅苦しく自分を律してしまいがちです。しかし、人間は誰も、そんなに完璧にはなりえません。

人生は、「いいこともあれば悪いこともあるけど、平均すれば、まずまず幸せ」なら、それでよいのです。すべて完璧にこなすよりも、できることがしっかりできることが大切です。

 

こういった話を学校でするのですが、なかなか自らの意志で学ぼうとする人はいません。結局社会で生きていくためには「学歴」が必要になるからです。学びの目的が大学進学や就職につながる人が世の中の大半になってしまし、学びの目的がずれてしまっています。多様な生き方を認めない今の日本の制度が腹立たしいです。

 

学校教育の中で、何かの教科を真剣に学びたいと考えている人は少ないでしょう。結局成績や試験、入試のためだけの学習になっています。学びの目的を明確にすることができないから、こういった事態になっています。

社会全体での意識を変えて、学びの目的を各自の意識にゆだねる必要があるはずです。