令和の革命教員

学校教育はおかしいぞ

大人の理想と子供の教育

 今年度から、GIGAスクール構想という名のもとに、生徒一人一人に端末が渡されています。一応、機能や検索機能には制限が課されています。で、私の学校でもそうですが、意外と生徒は賢いもので、ゲームができるサイトを見つけたり、制限を取り払えるように試行錯誤したり、端末でいかにして遊ぶかということを考えています。立派だと思います。

 ところが、こういった行動は指導されます。場合によっては没収されてしまいます。理由としては、学校側が貸し出しているものだから、学習以外で使うのは良くないというものです。私自身はあまり納得できません。。。。

 

 教育という言葉は英語では「education」です。この言葉には“外へ導く”という意味があります。

 この言葉どおり、海外の教育では“教える”というよりも、“生徒一人ひとりの可能性を導き出す・個々の力を伸ばす”という意味合いが強いのです。

  

 

 海外では、日本のように“みんな一緒の平等を目指す”教育ではなく、生徒それぞれの能力に合わせた教育を行なうのが特徴です。
 そのため、できないことを叱ったり注意したりすることよりも、それぞれの能力や才能を伸ばすことに重点を置いています。

 

  そのため、何か秀でた能力を持っているだけで多くの人から認められます。
 先生や親が生徒の良いところをたくさん褒めることで、生徒は自分のできないことよりもできることに目を向けられるようになり、自信を持てることでしょう。
 一方の日本では、テストの点数で評価をすることが多く、個性を認めることなく、調和を求めます。ネット等での技術や知識はあまり評価されず、学校のテストでどれだけ点数を取ることができたかどうかが重要になります。そのため、知識の暗記を中心とした教育となっています。

  

 

 海外は考えて導き出すことを重視した教育です。そのため、日本のような暗記力が問われるテストをすることはほとんどありません。

 

 

 

 学校から課される宿題も、自分で調べたり考えたりしなければならないものが多く、決まった解答があるものよりも、いくつもの答えがあるような問題が出されます。暗記する力よりも、生徒自身の自主性・主体性を尊重し、学習への探究心を育むことを重要視しているといえるでしょう。

 

 
 

 

 そして、海外では義務教育中であっても留年があることも、日本と大きく違う点です。日本では、どれほど成績が悪くても義務教育中に留年することはありません。良くも悪くも、生まれた年が同じ生徒は、同じ教育を受けることとなります。

 

 

 

 海外では、できないことを強く批判されることは少ないのですが、進級できるレベルに達していないと学校や保護者が判断すれば、進級はできません。反対に、成績が優秀であれば、飛び級をすることもあります。年齢ではなく、個人の能力に応じた学年に配置するというのが一般的な考え方のようです。

 で、何が言いたいかというと、子供の学力低下が深刻だという話題があります。それについて様々な対策をしてきましたが、根本的に教育スタイルが間違っているということを理解しなければなりません。

 

 日本の教育は、全員が同じレベルを目指して教育することが前提です。例えば、合格するまで何度もテストをしたり、全教科の成績をまんべんなく伸ばすことを目指したりするなどの特徴が挙げられます。

 

 

この教育方法によって、諦めず繰り返し取り組む姿勢を身につけ、努力によって能力を伸ばせると考えられています。また、日本の教育はできることが当たり前とされているのです。
 
 「子供に真の学力を!」と願うのであれば、塾という存在もなくなっていくことでしょう。日本の教育は海外と戦う土俵が違うのに、同じ尺度で考えようとすること自体が間違っているのです。他国よりも優秀な教育ができていないのに、学力を高めることなどできるはずがありません。

 大人の理想を子どもに押し付けるような教育をして何が楽しいのでしょうね?